このところ大雪で、ただただ雪からの脱出に必死。
玄関から出られるように雪かきをすると、
ヤドカリのように建物にこもるしかなかった。
それに、蔓延するコロナからのがれるためにも。
そんな時期、石原慎太郎が亡くなった。
世の中は、コロナだの北京オリンピックだのにまぎれて、
意外に彼の訃報を静かに受け止めたようだ。
そうか、彼も高齢で、世の中から大分遠くなっていたのだな、
と思う。
しかし、私には思いのほか近い存在だった。
いや、知り合いなどではないが、彼は小学校時代、弟の裕次郎
とともに、小樽に住んでいたからだ。
少し前まで私の住んでいた地獄坂に近いところに、
彼の家があったという。
何年か前にとりこわされたようだが、その家の跡を
探しにいったことがある。
慎太郎の父は、大きな船会社の北海道支店長だった。
そのころの小樽は、北海道経済の中心地で、
彼の父親の存在もなかなかのものだっただろう。
彼の子供時代の小樽の様子、裕次郎のことなどが、
「弟」という小説に書かれている。
私と地続きの時代の石原兄弟の話は、本当に親しく
身近な話として読むことができた。
それ以上に、作家としての石原慎太郎の筆力にも
感銘を受けた。
小説「太陽の季節」で芥川賞を受賞した彼は、作家としての
資質もあったはずだが、その後は小説家としての道へは
進まなかった。
もうずいぶん前のことだが、銀行の待合室でなにげなく雑誌を
めくっていた。
すると、石原慎太郎と三島由紀夫が対談したときの話が
載っていた。
その時は、三島由紀夫が亡くなってずいぶん経っていたのだが。
二人は、「男の美学」について語っていた。
「男の美学」について不思議に二人の意見が一致した。
それは、「自己犠牲」と「やせがまん」だというのである。
この二つのことが男の矜持(きょうじ・誇り、プライド)だと
考えたことがなかったので、なぜか、寒中に頭から水をかぶった
ような思いがした。
そうか、そうだったのか…
「自己犠牲」は「やせがまん」に支えられて成り立つともいえる。
この心境をもって戦地に行き、
お国のために命を落とした男が大勢いた。
これを国家に利用されるのはよくよく気をつけなければならないが、
しかし、純粋に男の美学でもあるとしたら…
二人の対談の記事を読んで、石原慎太郎の本質を知った気がした。
そして、その時代の男の本質についても。
個人的な推測だが、彼は父からその気質を受け継いだ
とも思える。
いや、昔の男はそうだった。
今はどうなのだろう。
都会派のおぼっちゃまでありながら、野武士のような
無頼派の負けじ魂を持つ慎太郎の訃報に接して、
感じるところがあった。
「男の美学」は時代によるものなのだろうか。
それとも、個人の資質と感性によるものなのか。
永遠の課題だ。
駅付近の道のわきの雪山
民家の前の歩道に雪が。マルコの散歩道
北海製缶の建物が雪の向こうに見える
運河べりの雪道。マルコの散歩道
運河のそばのレストランも雪に隠れて
この道の右が運河。雪で見えない
運河の水は冷たく青く
かもめや喫茶室のまどのそとに積み上げられた雪山。窓と雪山の
間間を雪かきして歩道を開けているが、だんだん狭まっている