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かもめや日記

北海道小樽市にある小さな宿「おたる北運河かもめや」のブログです
おたる北運河かもめやのホームページは http://kamomeya.main.jp
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どこでもドアで、出会いは楽し
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     暮れも押し迫り、雑事に追われる、あわただしい毎日、

    ふとわれに返って1年を振り返ることがある。

    今年も多くのお客さんとの出会いがあった。その一人ひとりに

    ストーリーがある。

    宿のスタッフは、お客さんが店に来るまで、中身が予想できないライブを

    毎日体験しているようなものだ。

     

    秋には、小樽で開かれた養老孟司や茂木健一郎、池澤夏樹らの講演会に

    参加するため、浦河からやってきた母娘と語り合った。

    茂木健一郎のファンである私も行きたかったが、

    仕事があるため行けなかった。

    娘さんは、ほとんど大学で講義を聞く時のように、

    内容をしっかりとメモし、私にわかるように話してくれた。

    私は、お返しに、「養老孟司のお母さんは、九十何歳まで、現役で

    鎌倉で医者をしていたんですよ。彼女に関心をもって、その人の

    伝記のような本を読んだのですが、お母さんは一度結婚したけど、

    夫の部下か何かの若い男性と出奔して、できた子供が孟司です」

    といったら、目の前のお母さんが、「あら、ワイドショーみたいね」

    と言って笑った。

    こんな話ができるお客さんとの出会いは楽しい。

     

     この夏から、また何十年ぶりかで、文学の世界にはまってしまった。

    学生時代は、小説を読むことが、怠け学生のせめてもの勉強と思い、

    明治から昭和の小説を、どんぶり飯をかきこむように読んだが、

    社会に出て、ある時期から小説をぱったり読まなくなった。

    「事実は小説よりも奇なり」の言葉通り、小説以上のドラマを

    生きるようになったからだ。

     

    それが、この夏、本屋の文庫本の棚に行って、たまたま芥川龍之介の随筆を

    目にしたことで、読書地獄が始まった。

    このことは、以前にもこのブログに書いたことがある。

    日本の小説家で、文豪といえるのは、夏目漱石か芥川か、と思っているが、

    自分は芥川を選ぶ、と近年そういう結論に至っていた。

    しかし、「今生で、昔読んだ小説を再び読むことがあるだろうか、

    多分ないだろう」と最近は、少し寂しい気持ちでそう思ってもいた。

    ところが、ふと開いた芥川の随筆が、あまりにも素直な少年の目で

    書かれたものであったので、すらすらと彼の世界に引き込まれた。

     

     ある夏の夜、眠れなくなって、起き出して、また芥川を読んだ。

    翌朝、気がついてみたら、昨夜は彼が睡眠薬を大量に飲んだ

    日だったのだ。7月24日、彼の命日だ。芥川35歳。昭和2年のことだ。

    なんだか怖いような因縁を感じた。

     

    それから、芥川の全貌を知るべく、図書館に行って全集を探したら、

    12巻あった。1冊の厚さは4〜5センチ。

    中身を見ると、旧仮名遣いで、「うっ」となったが、

    こうなったら乗りかかった船だ。

    第1巻から2冊づつ借りることにした。

     

    それから5カ月。

    積み上げたら50センチぐらいあった全集が、今、最後の2冊になって手元にある。

    彼の小説はすべて読んだ。

    今は、ものすごい手紙魔でもあった彼が、友人、知人にあてた手紙を読んでいる。

    普段の人となりがよくわかる。

     

    彼が、ある旧友にあてた遺書まで小説にしたのを読んで、

    鬼気迫る天才の作家魂を、骨の髄まで味わった気がした。

     

    自分のはしたない人生?で、こんなにも一人の人間のことを

    理解したような気持ちになったのは、初めてだ。

     

    芥川を読んで、魂がのっとられたような状態の時、

    源氏物語の研究をする学者のtakarinnさんと、電話で話をした。

    彼女は、そんな私の状態を「芥川とあなたと二人羽織みたいに

    なってるでしょう」といった。

    ほんとうにそうだ。言い得て妙。

    何十年も前に死んだ芥川の精神が、読者の私の中で

    いきいきと生きているのだ。

    いつのまにか、彼の感じ方、考え方が自分のもののようになっている。

     

    彼は、たくさんの著作のなかで、

    「一行の文章が、書いた人間よりもずっとずっと長生きすることがある」

    と言っている。

    本当にその通りだ。

    読書のだいご味。

    時代や国を超えて、作者と友達になることができる。

    独房の中でも、寝たきりのベッドの上でも。

     

    仕事柄、店番をしなければならない、不自由な宿屋のおかみは

    読書をしながら、心はドラえもんのように、

    どこでもドアを開けて、ぼんやり空想にふけっている。

     

    雪に覆われた手宮線跡の遊歩道。「荒涼とした小説家の

    心境を思わせる」といったら言い過ぎか…

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    | - | 20:06 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
    何ごとも集中するって凄いこと&#10069;いくら文学部卒であっても論文を物する為でもなくて全集読破は誰でもできません。
    芥川のポートレートを思いある種鬼気迫る文章を思い出すと、女将さん「だいじょうーぶ?」とも思ってしまいます。
    でも、これが人生の最終章を迎えつつある人の、本当の「読書」といえるのかもしれないとも思います。
    | takarinn | 2018/12/22 9:13 AM |










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