日本中がうすうす恐れている地震が
とうとう北海道にやってきた。
かもめやスタッフも、この夏の忙しさをなんとか乗り越えられるかな、
と思った矢先、未明の大揺れに見舞われた。
宿の二階にいた私は、あわてふためき,階段を駆け下りた。
どこへ行ったらいいかな、
と思って玄関の戸を開けて外へ出たが、
宿泊中の4人のお客さんはなかなか出てこない。
これほどの揺れは、あの東北の震災以来かもしれない。
揺れが収まったら、女性のお客さんが2人、恐る恐るでできて、
1人の人がスマホをあけて、今の地震が北海道のどの地域を
襲ったのか、見せてくれた。
後の2人の男性は出てこない。
かなりの大物だ。
それから停電になり、テレビも見られなくなった。
朝、携帯に本州の友人から安否を気遣う電話が入り、
「電気がつかないだけで、水道もガスも使えるから大丈夫」と答えた。
今日飛行機で帰るお客さんたちは、飛行機が飛ばないことを知り、
急遽夕方のフェリーに乗り換えることに。
息子は、町中の信号機が全部止まった中を、車でお客さんたちを
フェリー乗り場まで連れて行き、乗れることがわかったら、
また連れて帰ってきた。
不安になりながら、お客さん同士友達になり、
それでもしばらくすると、それでも観光に出かけた。
聞けば、北海道中が停電だという。
気が付くと、電気がつかなければ、生活の何もかもが動かない
ということがわかった。
お昼前、町なかを少し歩いてみると、私が子供のころからあるパンやさんが、
半分シャッターを閉め、家族が全員、外の椅子に座ってくつろいでいる。
パンやさんは普段は早朝から仕事をしていて、午前中が勝負だろう。
ここの年配のご夫婦は、いつもくたびれた顔をしていて、
パンが出来上がって売るころには、奥さんはもうぐったりしていた。
この仕事が、どんなにハードなのかよくわかる。
そのパンやさんの家族が、いつになくのんびり
楽しそうにしている。
昨日の残ったパンは全部売り切れ、今日はもう作れない。
残りのパンが、こんなに売れたことはないかもしれない。
うれしさ半分、あきらめ半分かな。
町なかの店のシャッターはほとんど閉まり、
なにもかもすっかりあきらめた人たちが、
ゆっくりあるいている。
震災のさなかに、ふとのどかさを感じた。
そう、人は自分の体を使って、できることだけをすればいいんだ。
あまりにも進み過ぎた文明。
自分の頭では考えられないところで、すべてのことが
動いている。
大昔、電気がない時代にも、人は生きて,生活していた。
夕方、車やバイクで北海道を移動していたお客さんが、
ほうほうのていで駆け込んできた。今夜はぎっしりのお客さんだ。
途中、コンビニのものは、すべて売り切れていたという。
それでも、どこかから調達してきたものを、薄暗い部屋で
食べる人や、かろうじてやっているお店で食事をしたらしい人もいた。
9月の日没は早い。
暗くなった宿の部屋で、お客さんはろうそくをともしながら、
一夜を過ごした。こんな夜が2日続き、2晩目の10時に、
すっかりあきらめていた電気がぱっとついた。
このあとのことをかなり長く書いたのだが、パソコンの調子が悪く、
全部消えてしまった。
今は以前の日常がほぼ戻っている。
しかし、運河やお土産屋さんの通りには、ひとが少ない。
小樽に来るなら、今だ 。
祝津の海は、もう秋の気配が漂う
、