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かもめや日記

北海道小樽市にある小さな宿「おたる北運河かもめや」のブログです
おたる北運河かもめやのホームページは http://kamomeya.main.jp
静かに静かに 桜散る
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     ゴールデンウイークも終わり、連日の宿泊客で忙しかった宿も
    静けさを取り戻した。
    青空が広がった五月晴れの日もあったが、
    後半は雨の日や曇りもあり、まだまだ肌寒い。
    宿泊客でにぎわっているのが宿本来の姿なのか、
    お客がいなくて、ひっそりとしているのが
    そうなのかはわからないが、
    だれもいない静かな店の風情も、私は好きだ。

    毎年来てくれる家族連れのお客さんは、
    小さかった子供が、次に来るときは大きくなって
    なんでもわかるようになっているのに驚く。
    子供の成長は、1年で大人の5年分ぐらいの
    知識を得ているようだ。
    にぎやかな子供達が帰ったあと、
    若い女性同士のお客さんが来た。
    いまどきのギャル風の彼女たち、
    夜遅くまで出かけていて、朝、遅めの朝食を
    「だる〜い」という感じで食べていた。
    焼き魚にフキと油揚げの煮物、出し巻き玉子に味噌汁…
    こんなごはんを食べ終わって
    一人が「あ〜ワタシ、実家帰んなきゃなぁ。なんだか自分取り戻しちゃったみたい〜」
    といった。
    こんなばあさんのごはんみたいなの、好きじゃないかと思ったら、
    きれいに食べていた。
    都会で暮らすおねえさんたちは、昔風の食事で里心がついたのだろうか。
    それは、いいことなのか…

    昨日は東京から高校時代の友人が来たので、
    満開を過ぎているはずの桜を見に
    手宮公園へ行った。
    もうすっかり散ってしまった木もあったが、
    まだまだたくさんの木が、たわわにうすーいピンクの花をつけている。
    緑の芝生の斜面の下に、一連の桜のうねり。
    その向こうに夕暮れを迎えた灰色の海。
    さらにその先には、まだ雪が残る山々が見える。
    美しい時間。
    桜吹雪の下で、18歳まで小樽にいたこの友人と、
    共に過ごしたあの屈託のない若い日々と
    その後のそれぞれの人生を振り返った。








     
    またまた写真が青くなった。どうしてだろう?
    | - | 10:48 | comments(5) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
    遅い!遅すぎる春
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       駆け足ではやってこない、ゆっくりゆっくり、
      老人の歩みのような春がやってきた。
      近くの空き地や、手宮線の線路跡に、
      みずみずしい黄緑のふきのとうが、ポコポコ顔をのぞかせている。
      「ああ、遅い、遅すぎる…」
      待ちくたびれるという言葉があるが、実に、こんな思いを
      言うのではないか。

      コメンテーターの蛍氏が、丸谷才一と山崎正和の対話で
      手宮公園のことを語っていたと伝えてくれたが、
      ほんとうにいいものを見つけてくれてうれしい。
      やっぱりそうでしょう。
      私がいつも手宮公園のことをいいというので、
      人に「なんであんなところを?」といぶかしがられることも
      ありそうだ。
      しかし、わかる人にはわかるんだ。
      ここは、日本の風光明媚な何大公園の一つに数えられてもいいと思う。
      港が見えるこの丘に、桜が咲くのももうすぐだ。

      そんなある朝、久しぶりに自宅の近くを歩いてみようと思った。
      いつもは家と店を気ぜわしく往復するだけで、
      300メートル四方がどうなっているのかも、
      ほとんど知らなかった。
      すぐ近くの山のふもとの高台に、母校の中学校がある。
      そこへ行こうとしたら、昔の道がなくなっていていた。
      なんということだ。
      こんなに近くにあるのに、この学校に来たのは
      卒業以来だ。
      近くを通る下水道に、雪解け水が、ごうごうと音を立てて流れている。
      校庭から海を見下ろすと、中学に入ったばかりのときの
      張り詰めた気持ちがよみがえった。
      あのときも、校庭にハラハラと散る桜と海の青さがまぶしかった。

      通学するのに通った山道を久しぶりに歩いてみると、
      がけに白い可憐な花が咲いていた。
      なんという花だろう。名前はわからないが、寒い地方に
      春先に咲く花に違いない。
      ようやく人家のあるあたりに出ると、
      雪の重みでつぶれかかった犬小屋や、
      曲がった鉄パイプの柵が目に入った。
      この冬の厳しさ、雪の多さに耐えて生きる
      北国の人の暮らしと、それぞれの人生を
      ふと思わせられた。


      山道で見つけた花
      | - | 06:48 | comments(7) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
      歌詠みの旅人
      0
         覚えておられるだろうか。
        昨年秋、「メンタルクリニックに入院するのをやめて、
        かもめやに入院することにした」といって
        大阪からやってきた中年、いや、高年?60歳の男性が
        わが宿に11泊し、元気になって帰っていったことを。
        帰ってしばらくしてから、分厚い「かもめや滞在記」を
        送ってきた。
        それには、旅行記にも似た小樽での日々の様子を
        書き綴ってあった。
        それを見たとき、「ああ、この人は、人生にある種の
        区切りがついたんだな。これでもう大丈夫」と
        私は、医者でもないのに、そう思った。
        その人が、またこのたび、釧路、霧多布、美瑛をへて
        小樽にやってきた。
        半月ほどの旅の終わりであったが、
        昨年よりずいぶん元気になって、気持ちも落ち着いたように見えた。

        「前回は気持ちも切羽詰っていたから、
        憑かれたように小樽を歩き回ったけど、今年は
        のんびりして、1日が長く感じられる」という。
        それでも、お気に入りの建築家、田上義也の設計した
        「坂牛邸」に出かけた。
        そして、特別の感慨があるらしい水天宮にも行ったとのこと。
        昨年、旅に出る前に、親しかった知人の女性が急逝したということもあり、
        相当気持ちも落ち込んでいたようだ。
        以前、そこで読んだ歌を教えてくれた。

        「哀しみは、水天宮の海の色 かもめとなって 還らぬ人よ」

        この歌を聞いただけで、「小樽に来たかいがありましたね」
        と私は言った。

        今回は、かなり気持ちに余裕があったようだが、
        春浅い港付近を歩いて、たくさんの歌ができたようだ。
        朝起きて喫茶店にいってみると、カウンターの上に
        いくつもの歌を書いた紙が置いてあった。

        「鳴り止まぬ 心の中の鐘の音に  眠れぬ夜をいくつ数えり」

        「色内の 芝生に寝ころび 春の陽を 浴びて見渡す小樽のパノラマ」

        「北運河 カモメの白の純白に  己の黒を写し出すなり」

        「図書館の 休憩室にてジュース飲む  少女の顔の目付き鋭し」

        「手宮線跡にてはしゃぐ園児たち  整列してもまだ物足らず」

        「かの地とは 縁もゆかりも無けれども  小樽の海の懐かしかりき」

        こんな歌を残して帰ったこの人は、元小学校教師。
        そして、詩集も出したことがあるという。

        このたびも、こんな歌を作ったことで、さらに気持ちがスッキリしたはずだ。
        そろそろ飛行機に乗るころかな、と思ったら
        空港からメールが来た。

        「空港の だだっ広き中に迷いいて  ここは何処の街にもあらず」

        「これを付け加えておいてください」と…。





        | - | 16:41 | comments(1) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
        なかなか立ち退かない冬
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           昨日、今日、さすがに表通りの雪は解けたが、4月に入って
          ずーっと雪が降っていた。
          まだまだ裏通りには雪が残っており、坂の上の自宅前には
          2メートル以上の雪山がある。
          港に近い北のウォール街と呼ばれる日本銀行の通りの
          店の人が、今日、玄関脇にある雪の山をこわしていたのには
          驚いた。
          いまだに居座っている冬は、一体どんな気持ちなのだろう。
          「意地でも解けてやるもんか」という残り雪の
          しぶというなり声が聞こえそうな気がする。

          考えてみれば、北海道の冬は11月に始まり、4月まで続くとすると、
          半年間だということになる。
          1年の半分が冬?
          こんな土地に暮らすとすれば、動物だって、植物だって
          雪が降らない地方のそれとは種類が違うはずだ。
          人間もどこかが相当違うだろう。
          いつまでなげいていてもしかたがないから
          さっさとあきらめる。つまり、あきらめが早い、
          辛抱強い、重い状況を仕方がないと受け容れる…こんな
          性格の品種、いや人種が作られるかも。
          いやいや、こんなにグチグチ言うということは
          あきらめが悪いんだ。
          この間、空き地でふきのとうを見かけた。
          「うそみたい!」と半ばしらけた。

          さてさて春は、今ごろどこをうろついているんだろう。
          なかなか家に寄り付かない放蕩息子のようだ。
          おーい春、隠れていないで、出てきなさい!






          運河に浮かぶカモメ
          | - | 14:35 | comments(2) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
          冬の底から脱出!春の入り口へ
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             つい数日前まで居座っていた雪の山が、やわらかな日差しに負けて
            じわじわ解け出し、ついに店の前の舗道が見えてきた。
            それでもまだしぶとく張り付いている氷を、息子がツルハシで割って
            とうとうかけらの全部を道の端に追いやった。
            めでたくアスファルトの道になったというわけだ。
            本州の人なら当たり前の道路の様子が、
            雪国の人にとっては、やっとのことで得られた光景なのだ。
            1年のうち4カ月、1年の三分の一といっていいか、
            この歳月、北海道の地は、雪に占領される。

            若いときは、この冬をなんとも思わなかったが、人は年をとると
            この季節の横暴な振る舞いに、ほとほと弱ってしまう。
            かくして長い長いトンネルの出口で春風が吹き始めると
            植物は一旦死んだようになる。
            そうして、力のあるものだけが、新たに芽吹くのだ。
            そんな植物の自然淘汰の様子をイメージしながら、
            自分はここで二度と芽を出さずに枯れ切ってしまう
            種類の植物だと思えてくる。

            近年、冬の底になると、体調を崩すようになった。
            しかし、そのまま枯れて死んでしまう植物も
            たくさんあるんだから、自分は弱っても
            ある意味当然、と思える。
            それでも細々と芽吹くことができるとしたら、
            なかなかにしぶとい生き物だ。
            さあて、今年はどんな花を咲かせるのだろう。
            樹齢ウン十年のうば桜は、咲いても咲かなくても
            話題にはなりそうだ。
            | - | 20:09 | comments(5) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |