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かもめや日記

北海道小樽市にある小さな宿「おたる北運河かもめや」のブログです
おたる北運河かもめやのホームページは http://kamomeya.main.jp
寒さゆるみ、アーティスト来る
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    小樽の冬の一大イベント、「雪あかりの路」も終わって、わが宿も

    しんとした。期間中、夕方から夜にかけてお客さんの出入りも多く、

    私は、雪あかりを見に行くことができなかった。

    息子が、暗くなってから、急いで手宮線跡や運河周辺を

    見て回り、写真を写してきたのを見ただけである。

    中国や韓国、アジアの国々からたくさんの人が来ているというのに、

    地元の者は、案外こんなものだ。

    写真を見ただけでは、雪夜の寒さとか、

    ろうそくの火のほっかりとした温かさ、明るさは、

    なかなか想像できない。

     

    このイベントが終わったとたん、急に気温が上がり、

    雪が解け始めた。

    屋根から大量の雪がどさっと落ちたりして、

    軒下を歩くと危険なことがある。

     

    このところ、名古屋在住の友人、takarinnさんが、短歌を詠み始めた。

    昨年の春、思いがけない病になり、苦しい時を過ごしたのだが、

    回復するときに、歌とともに立ち上がったのである。

    本人は素人と謙遜するが、なかなかのものだ。

     

    日脚延び 温みとともにえも言えず 春に何かを恃まんとす

     

    白梅は 寒空のなか健気にも 時季におくれず一輪綻ぶ

     

    わが朋は 洒落と辛辣併せ持ち 童女そのまま 宿の女将よ

     

    多喜二と整 彼が育ちしは坂の街 その地に在りて 朋は書を読む

     

    と、移ろう季節の気配をいち早くとらえ、そして私のことまで

    詠んでくれた。

    ありがたいこと。私が駄文を長々とつづるより、歌の一首で

    すべてを語ってくれる。言葉の力は偉大なものだ。

     

    そんなとき、フェルトや陶芸でユニークなアート作品をつくる

    芸術家の魔女子さんがやってきた。

    70代後半にして、いつも目の覚めるような独特の美しい色づかいの

    作品を次々と生み出している。

    今回は、フェルトのキュートなバッグやマフラー、そして

    ピカソを思わせる大胆な絵を描いたコーヒーカップを持ってきた。

    細い体で、一日中、休みなく作品作りをしているとのこと。

    「創作をするとエネルギーが減るんじゃなくて、

    井戸のポンプみたいにますます水があふれてくるのよね」と私。

    芸術家が疲れを知らないのはそのせいだ。

     

    魔女子さんも、takarinnさんも、ほんとうに、

    汲めども尽きぬエネルギーをもっている。

    その作品に触れることで、こちらも感動とともに、生きる力を

    もらえる。

     

    動物好きの魔女子さんは、マルコをかわいがってくれ、

    「今日は、マルコに洋服を作ってきたの。かわいいでしょ」

    と言った。見せてくれたのは、フェルトで作った

    味わいのあるショッキングピンクのコートだ。

    背中に白い天使の羽根がついていて、胸には水色の蝶ネクタイまで…

    2歳半の今日まで一度も服を着たことのないマルコに、

    素敵な手作りのコートを着せようとした。

    息子がマルコを押さえ、魔女子さんが丸く開けた穴に

    足を入れようとする。

    マルコはいやがって、暴れるわ、かみつくわで、

    その抵抗は半端じゃない。

    人にはかみつかないマルコが、ついに「ワウー」といって

    息子の手にかみついた。

    「やられたぁ〜」と彼。

    命がけで着せたかわいい洋服。

    着てみると、なかなかすてきだ。

    マルコも、さっき暴れたのは忘れたかのように、すましている。

    それにしても、犬の辞書に「おしゃれ」という文字はない。

     

    こんなマルコのことを、takarinn さんは歌に詠んでくれた。

     

    マルコとう聖人の名を持つ猟犬あり 

            小首傾け主(あるじ)に寄り添う

     

    マルコ君 主の為せる長電話 時に大きくバウアウアウ

     

     

    雪あかりの路

     

    この服を着るのに大暴れしたとは思えないマルコ

    魔女子さんのフェルト作品

    色と形のユニークさは独特のもの

    真ん中のカップは、ピカソのゲルニカを思わせる

     

     

     

    | - | 19:56 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
    よみがえった古い椅子
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      札幌の雪まつりが始まった。

      今朝は珍しく気温が高くて、雨が降っていたので、

      雪像が解けるのではないかと心配したが、午後から急に吹雪になり、

      小樽は視界が悪くなって、先が見えなくなるほどだった。

      北国の住人は、雪まつりは、あったかい部屋にいて、

      テレビで見るのが一番、と思っている。

      それでも、わが宿には、本州からのお客さんが、雪を見にやってくる。

       

      そんなかもめやに、うれしいことがあった。

      店を始めてから12年目になり、喫茶室の昔の椅子のクッションが

      だいぶ古びてきた。

      といっても、椅子自体はもともと古いものだった。

      昔の会社や事務所のどこにでもあった事務机につきものの椅子だ。

      この椅子に愛着を感じ、開店の時、喫茶室のアンティークのテーブルに

      合わせて使いたいと思ったのだった。

      初めに、店の看板を作ってくれた彫刻家のリョータが

      素人ながら器用で、この椅子のカバーを張り替えてくれた。

      それから11年。どれくらいの人がこの椅子に座っただろう。

      生地もすりきれ、おまけに犬がかじった。

      ちょっと情けない風貌になったので、

      クッションカバーを張り替えたいなぁと思った。

      普通の人なら、20年前に椅子ごと捨てているくらいのものである。

      木枠自体も、相当古いものだ。

      まぁ、戦後のものではあろうが、少なくとも50年はたっているだろう。

       

      なぜか自分は、この椅子が好きだ。

      昔の商店や会社の事務所、図書館なんかにもあったかもしれない、

      紺のビロードのような生地が貼ってある椅子だ。

      どこか、張り替えてくれるところはないだろうかと考えていた。

       

      あるとき、札幌の近代美術館の筋向いのショウウインドウに

      椅子を並べている店を見た。ここは、店なのか、会社なのかわからず、

      一般の人には縁がなさそうな感じだ。

      ネットで調べてみると、椅子やさんで、大正14年創業、椅子の張替えもしている

      と書いてある。「川原木椅子店」。

      思い切って行ってみようと思い、息子と2人、ボロボロの椅子を車に積んで行った。

      お店の人にあきれられるかと思いきや、こちらのこだわりの話を聞いてくれ、

      年配の職人さんが「木枠がガタガタしているが、なんとかやってみます」

      といってくれた。

      数日後、息子が引き取りに行った。

      なんとまぁ、あのボロ椅子が、美しい紺色のビロードのカバーをまとって、

      クッションもふっくらとここちよく、立派にでき上がっていたのである。

      椅子を愛する、仕事を愛する職人さんの心意気が詰まっている。

       

      もうこんな古いタイプの椅子を新しく注文する人は、どこにもいないだろう。

      どんなに豪華な新しい椅子よりも価値がある。

      この椅子が人々を座らせた50年の歳月は、お金では買えないものである。

      これを、わが宿の喫茶室に置いたら、その狭い空間が底光りして見えた。

       

      昨年秋、羽黒山へ行って「死と再生」を経験した私。

      この椅子も、そのテーマにちなんで、「再生」した。

      これに腰掛けると、静かなエネルギーが満ちてくる。

      昔の人のゆるぎない力を感じたい人は、この椅子に座りたまえ。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      | - | 21:12 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
      雪まつりも近い、北国の暮らし
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         今年は暖冬のせいか、雪が少ない。

        2月4日から札幌で始まる「雪まつり」と、

        小樽の夜のお祭り「雪明かりの路」(8日~17日)

        に、全国から、世界中から人が集まる。

        わが宿も、その時期はお客さんが多いが、

        手宮線跡や運河周辺に雪のオブジェを作るのに、雪が少ないと困る。

        それでも、毎年その時期になると、いつのまにか雪が積もっているので、

        心配は無用だ。

         

        北国の暮らしは、朝起きて、まずはカーテンを開け、

        「今日はどれくらい積もっているのかな」

        と窓の外を見ることから始まる。

        外の雪の様子で、その瞬間から1日のスケジュールが決まる。

        電車やバスや車で出かける人は、

        まずは身支度をして、外に出て、家の前の雪かきをしてから

        早めに家を出る。

        車の人は、こごえる手で、車の屋根や窓に積もった雪を専用ブラシで払いのけ、

        早めにエンジンをかけて、凍り付いた窓の霜をとかして

        スタートできるよう準備する。

        道路はすべったり、雪のために渋滞したりするので、

        移動には時間がかかる。

         

        車は、赤信号でブレーキをかけても、止まらない可能性があるので、

        そのときはどうするか、常に考えながら運転するわけだ。

        知らず知らずのうちに体が緊張しているので、

        私などは、身の縮む思いがする。それでなくても小さいのに、

        これ以上縮んだらどうなる…?

        気の小さい人は、雪道の運転は無理だ。

         

        それでも、北海道の人は、冬も当たり前のように車に乗っている。

        ちょうど、持病のある人が、痛いところをかばいながら、

        何食わぬ顔で普通に生活しているようなものだ。

        春になって、雪が解け、アスファルトの道路になると、

        「ああ、普通の道路って、こんなに楽だったのか」と思い、

        気が抜けたような気分になる。

         

        あるとき、道路の左右に雪が積もり、狭くなったぐさぐさの車道を

        仕方なく運転していて、こんなことを思った。

        年を取るってことは、雪道を運転することに似ているなぁ。

        いつもどこかしら体が痛み、動きにも制限がある。

        普通のことをするのにも、ああしたらこうなる、こうしたらああなると、

        先を読み、「転ばぬ先の杖」で、常に用心しなければならない。

        車の運転なら、雪が解ければ、若い時の動きに戻れるが、

        年を取ると、視界をはばまれ、だんだん深くなる雪の中を運転するようなものだ。

        ちょっと悲しいけど、こんなたとえを思いついた。

         

        しかし、雪国の人はまたたくましい。

        この雪を楽しもうと、大きな雪像を作ったり、

        雪のオブジェにろうそくをともして、ロマンチックな雪明かりを楽しもうと

        している。

        そう、人は楽しいことを期待すると、

        それだけでエネルギーがわいてきて、元気になるものだ。

        人々の熱気で熱くなる雪の祭典が、もうすぐ始まる。

         

        札幌駅前のイルミネーション

        かもめや近くの運河公園は雪野原になっている

         

         

        | - | 07:47 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
        剣道場だった龍宮神社
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           寒い毎日、うだうだしているうちに、1月も半ばを過ぎた。

          2月に行われる札幌の雪まつり、小樽の「雪明りの路」のイベントを前に

          わが宿は、今のところ暇だが、町中にはけっこう中国人らしき人が来ている。

          この間、近くの古い商家でフランス雑貨を売っているお店の人が、

          「この辺に、これから民泊のための宿がたくさんできるみたいですよ」

          といった。

          そうか、うちの商売敵になるのかな。

          う〜ん、といって、ジタバタしてもしかたがない。

          今まで、小樽の同業者が、どこでどんなことをやっているのか、

          ほとんど気にしていなかった。

           

          考えてみたら、小樽で、うちのようなスタイルで宿をやったのは、

          かもめやがさきがけのようでもある。

          こんな下宿屋みたいなゆるい宿は、あまりなかった。

          お客さんの中には、「映画のかもめ食堂みたみたいですね」

          という人もいた。

          宿を始めるとき、時代の流れに沿おうとは全然思っていなかった。

          ただ、自分が育った時代、あるいはそれ以前の

          昔の小樽のイメージを残したいと思ったこともあり、

          世の中が早く進みすぎて、みんな疲れているから、

          ほっとする場所が必要だ、とも思っていた。

           

          ところが、あれから10年以上過ぎた今、空き家を利用して、

          そんな宿を作ろうという動きが出てきた。

           

          フランス雑貨の店のお姉さんが言っていた、民泊になるという

          改装中の近くの建物を何気なくのぞいてみると、

          「あれっ、あの電気のつるし方、まるでうちとおんなじだ!」

          わが宿の喫茶室には、カウンターの上に、魚の形をした水色のライトが

          4つほど吊してあり、室内のアクセントになっているのだが、

          改装中の建物の中にも、同じような形をした透明のランプが

          ほとんど同じようなやり方で吊り下げられていた。

          「な〜んだ、うちの真似じゃない。まぁ、よくもここまで…」

          と驚いてしまった。

          なんでも、中国人が、小樽の不動産を次々と買っているらしい。

          「もしかして、ここを民泊の建物にするのは、中国人かもしれない」

          なにせ、有名ブランド品を、1文字違えて、すまして売ったりする

          人たちだから。

          ま、真似されるってことは、いいことかも。

           

          話は変わるが、京都名物の八つ橋の店で、どこが先に始めたか、

          というような論争があったような気がする。

          商売は、真似し、真似され、で切磋琢磨するものだから、

          そんな流れの中で、自分が大事にしているスピリットを

          守っていくことが、生き抜く秘訣だなと思う。

           

          さて、こんな寒さの中でも、マルコの散歩は待ったなしだ。

          仕方なしに、近くの龍宮神社に連れて行った。

          子供のころから、毎日のように行っていたところだが、

          神社の社殿をのぞくと、思い出がよみがえる。

          子供のころ、父と兄が仲間たちと、この社殿のなかで剣道をやっていた。

          真冬の夜、ここで寒稽古が行われるので、家が近いわが家が、

          その人たちの控室にストーブを炊きに行くのだ。

          稽古が始まる前に、火炊きの準備に、私もついて行ったことがある。

          そして、剣道着を着た中学生から大人まで、

          たくさんの人たちが練習しているのを見ていた。

          「め〜ん、ど〜う」の声が、ピーンと張りつめた冷気の中に響く。

          厳寒の町に住む人々の気合がこもっていた、

          あの時代の空気を思い出す。

           

          神社を出て、近くの船見坂のほうへ歩いて行った。

          坂の途中で、中国か韓国の若い女性観光客が

          カメラを持って撮影し合っている。

          この坂を上って、私は中学校に通っていたのだが、

          時は過ぎて、この町は、150年前の繁栄の時代を

          観光の糧として、日本各地、またアジアの国々から

          人を集めるようになった。

           

          龍宮神社

          この中で、昔、剣道の稽古が行われていた

          船見坂。山が見える方が坂の上

           

           

           

          | - | 12:15 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
          中国語が飛び交う宿
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            あけましておめでとうございます。

             

            年末に、暮れのあいさつをしようと思ったが、

            宿泊客が多く、多忙だったので、書けなくなった。

            それも、このところ少なかった外国人客が、

            この小さな宿にも次々とやってきたからだ。

             

            ベトナム人とマレーシア人のカップル、

            香港からの30代の夫婦、中国人の若い女性の2人連れ、

            日本で学ぶ中国人女子留学生などなど。

            宿の喫茶スペースで、お互い中国人だとわかると、

            中国語で話しかけたりしている。

            ここは中国の女子学生寮で、私は舎監か。

            そんな気分になってくる。

            わが宿に来る外国人は、ありがたいことに、みんな

            日本語が話せる。

             

            香港から来た夫婦は、店に着くなり、男性のほうが

            ニコニコして私を見ている。

            「おぼえていますか、私は11年前にここへきて

            泊ったんですよ」という。

            「え〜っ、そうなの? よくいらしてくれましたねぇ」

            と私。感慨もひとしおだ。

            「あのとき、妻も一緒でした。朝ごはんがおいしかったです」と。

            「今はねぇ、私も年をとって、食事の用意ができなくなったの。

            ごめんなさいね」とあやまった。

            2人をツインの洋室に案内すると、

            「あっ、前の時もこの部屋だった」と喜ぶ。

             

            2人は出かけて行って、帰ってくると、大きなオードブルみたいな

            食事を買ってきて、喫茶ルームで、

            「ここで食べてもいいですか」という。

            「どうぞ」と私。店番をしている私に、

            男性のほうが話しかけてきた。

            彼はかなり日本語が話せる。

            「どうしてそんなに日本語が話せるんですか。留学したことがあるの」

            と聞くと、留学はしていない。自分で10年ほど勉強していて、

            日本人の知り合いとネットでよく会話しているんだという。

             

            「なんのお仕事をしているんですか?」と聞くと

            「私は国の病院の会計士をしています。妻は幼稚園の先生です」

            と。

            彼女は日本語が話せないようで、疲れているようだった。

             

            以前に中国人の6歳ぐらいの男の子が、お母さんと2人で

            泊ったことがあり、その子がお母さんをひどくぶったり、けったり

            しているのに驚いたことがあった。

            この人はまま母なのか、と思ったぐらいだ。

            中国は一人っ子政策で、おかあさんが働いているので、

            子供は祖父母に育てられているため、ものすごく甘やかされて

            わがままなんだ、と後からほかの中国人に聞いた。

            あんなにむちゃくちゃ暴れる子供たちをみている

            幼稚園の先生は、どんなにか大変だろうと察した。

             

            「香港にきてください」と彼は言った。

            「私は、一度行ってみたいと思っていました。

            夜景もいいけど、中国の民芸品や名物を売るバザールの

            ようなところがあったら、行ってみたいの」というと、

            スマホで、「こんなところですか」といって見せてくれたのは、

            日本でいうアメ横みたいなところで、ものすごくにぎわっていた。

            「うわ〜すごい。こういうところよ、行ってみたいのは」

            と私も興奮した。

            「あなたに会うなら、病気になって病院へいくことね」

            というと、「いや、外国人が病院へいくと、とっても高いです。

            中国人なら安いけど」と。

             

            そんな話をしているとき、ちょうどテレビで、天皇陛下の

            若いころからの公務の様子を放映していた。

            彼は、それを見て「天皇陛下について、どう思いますか?」

            と聞いてきた。

            「う〜ん、日本人なら大体同じ思いがあるのじゃないかな、

            ある親しみのような気持ちを感じるというか…。

            あの人たちは、私たち国民に直接利害のあることはしないから」と、

            難しい答えをした。

            「それなら、安倍首相は?」と切り込んでくる。

            「そうね、首相の考えや行動は、私たちの生活を左右するから、

            もっと敏感に監視する必要があるんだけど…」と

            これまた答えを出すのに、ちょっと考えなければならなかった。

             

            すると、彼は「香港では、職場でも上の人のことを話す

            のに、制限があるんです」といって顔を曇らせ、

            言いたいことがいえない不自由さを、言葉少なに表現した。

            ここ、異国の日本でさえ、そういうことは大きな声では言えない、

            国に密告されたら困る、みたいな。

            「え〜っ、そんなことがあるの」と驚く。

            中国では、日本では信じられないくらいの言論統制が

            あるようだ。

            とくにこの人は国立病院で働いているから、

            国の政策には忠実である風を装わなければならないのだろう。

             

            私はまた「北朝鮮なんかはどう思うの、金正恩とか」と気軽に聞いてみた。

            「ほんとにひどいよね」ぐらい言うかと思ったら、

            「う〜ん」といったっきり、気まずそうにして、なんとも答えない。

            その様子に、私はようやく事の重大さに気づいた。

            そうか、日本みたいに、誰に聞かれてもたいして気にしないで、

            政治家の悪口を言える国は、世界でも

            そんなに多くはないのかもしれないな、と。

            「香港の人は、こんな様子をホントは窮屈だと思っています。

            だから、できるものなら、ほかの国に行きたいと…」と彼。

            「え〜っ、どこの国に行きたいの? 前に統治していたイギリス?」

            「それは遠い」

            「じやぁシンガポール?」

            「いや、あそこに行っても、何を考えているか、

            上のほうにわかってしまう可能性がある」

            「それじゃあ、日本?」

            「そう…」と彼は、小さく答えた。

             

            そうか、それで中国人が日本の自由さを求めて

            日本語を熱心に勉強してるんだ。

            この北国の片隅の小さな喫茶室で、中国の人々の、

            心の奥に秘めた本音を垣間見た気がした。

             

            また、北京から来たという若い中国人女性の2人連れは、

            2泊し、気さくに話した。

            大学で日本語を学んだという一人は、かなり話ができる。

            もう一人は、日本語をもっと話せるようになるため、

            もう3か月も東京に滞在しているという。

            リッチなんだなぁ。

            北京は空気が汚いので、北海道はいいなぁと思う、という。

             

            そこへ、また中国人の女性が、雪の中を大きなスーツケースを

            引いてやってきた。

            「どこから来たんですか?」というと

            「いま、九州大学に留学しているんです。

            私は南京の出身ですが、国に帰るにはお金が足りないので、

            北海道に旅行に来ました」と彼女。

            そこにいた2人と、中国語で、話していたが、

            「何を勉強しているの?」と聞くと

            「土木です」と。

             

            いやはや、この小さな日本に、大国の人々が押しかけてきて

            この先、どうなるんだろう。

            それにしても、日本はアジアではこうも魅力のある国なのだと

            改めて思わされた年の暮れだった。

             

            北運河の新年

            「あ〜ぁ、またこんなに降っちゃった」

            「これじゃぁ運河も見えないよ」

            「あれっ、なんかいるな」

            「おまえかぁ」

             

             

             

             

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