SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

10
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

かもめや日記

北海道小樽市にある小さな宿「おたる北運河かもめや」のブログです
おたる北運河かもめやのホームページは http://kamomeya.main.jp
前世への旅・その2
0

    未明からの雨が、ホテルの窓をたたいていた。

    ここは、山形県鶴岡市。

    羽黒山は、駅前からバスで50分ほどのところにある。

    これから知らない山に登るというのに、大丈夫だろうか。

    不安がよぎったが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。

    とにかく、ふもとまででも行こう。

    そう思っていると、町の中の空は晴れてきた。

     

    隋神門というこの霊山のふもとの入り口から頂上まで、石段が
    二千何百段もあり、その距離は1,7km、
    一体登れるのだろうか。
    バスで山のふもとに近づくと、小雨がぱらつき、山の上の方には

    黒雲がかかっていた。

    この空模様では、一人で登るのは無理だ。

    急遽予定を変更して、頂上までこのバスでいくことにした。

    山の途中から雨脚が強くなり、車中には、運転手のほかは

    私一人。

    心細さが増した。

    頂上に着くと、運転手さんに

    「ここから一人で山を下りるのは危ないですか?」と聞いた。

    すると、「いや、大丈夫でしょう」との答え。

    ホッと一安心。

     

    ここには、月山、羽黒山、湯殿山の三山の神をまつった

    三神合祭殿がある。

    鳥居を目指して行くと、向こうに厚いかやぶき屋根の

    立派な朱塗りの神社が見えた。

    あたり一帯、雨の中に霧か霞か、雲かわからない

    白い煙のようなものが漂っている,幽玄の世界だ。

    ここは高天原かと思わせられる。

     

    苔むした水溜りの道に沿って、小さな神社がいくつも並んでいる。

    大きな鐘つきのやぐらがあったので、

    そこの下で、この無謀な旅を心配してくれたtakarinn さんに

    「着いたよ〜」と電話した。

    電話を切ったと同時に、水泳の先生から電話が入った。

    彼女には、この旅のことは、何も話していなかった。

    「光子さん、私、今日ようやく時間ができたから、あなたとゆっくり話したいと思って。

    都合はどう?」と。

    「先生、私、今、どこにいると思う? 羽黒山の頂上にいるの」

    というと、「え〜っ、あなた、一人でそこへ行ったの?」

    と言って、彼女は泣きだした。

    「私、涙が止まらない。あなたたちのこと、あっちゃん(私の息子)が

    病気のときも、

    そこの神様にお祈りしたのよ。よく行ってくれたわね。

    下りの坂道のはじめのところに、蜂子神社があるの。

    そこがこの山の神様だから、お礼をいってきて」という。

    「わかりました。先生、

    これから山を下りるんだけど、今、それを言ってくれてよかった。

    山を下りちゃってからではおそいものね」と私。

    そのとき、さーっと空が晴れて、青空が広がった。

     

    それから、1400年以上前にこの山をひらいた崇峻天皇の子、

    蜂子皇子がまつられている蜂子神社へ行ってお礼を言い、

    この山を下り始めた。

    さっきまでの雨はすっかり上がり、参道の山道には

    凛として澄んだ空気がみなぎる。

    周りの高い杉の木や緑が美しい。

    そのとき、また携帯が鳴った。

    男の声で、「いま、山を下っているんだってね。

    途中に茶店があるから、そこで休んでいきなさい。

    私が電話を入れておくから」という。

    水泳の先生が、その山を巡っている山伏の大先輩に、私のことを

    電話で知らせたらしい。

     

     茶店に着くと、女主人が「いま、電話があった方ですね。

    お待ちしていました」という。

    そこの名物、力餅を食べながら、

    このたびのあまりに用意された山下りに、

    心が落ち着き、感謝の思いが込み上げてきた。

    「この山の神様にお世話になったので、今、お礼をしてきました」

    と女主人に伝えると、「みんな苦しいときの神頼みはするけど、

    お礼を忘れる人が多いんですよ。お礼参りは大切ですね」という。

    「そういえば、さっき来たお客さんは、≪今日の天気予報は、

    70%雨だと言っていたけど、晴れたね≫といっていましたよ」と彼女。

     

    それからまたゆっくり石段を踏み、山を下り始めた。

    相当急な階段もあり、これはだれでも行ける所ではない。

    私も、いまこの時だから行けた、と思えた。

    この道を下りながら、温かな思いに包まれ、細胞がすべて

    入れ替わるようなすがすがしい思いがした。

    そう、この山は、生まれ変わりの山、死と再生の山だった。

     

    ふと気づいた。

    はじめは下から登ってくる予定だった。

    それが、雨のため、急遽頂上から下ることに変更した。

    「木漏れ日の山道を下る、白装束の男…」

    これはまさしく前世の自分と同じシチュエーション

    ではないか。

    そしていま、あの時と同じように、木漏れ日が自分を包んでいる…

     

    実に不思議だが、前世の自分と現世の自分が、ぴたりと符合する…

    大いなるものの温かさ、優しさに包まれて、今生を生き抜くために、

    傷ついてきた自分のすべてを回復するようなこの下山…

     

     山の下には、美しい五重の塔や朱塗りの橋、

    そして白い水しぶきを上げて落ちる滝もある。

    もうすぐふもとの出口にある隋神門だ。

     

    今朝、バスに乗り込んだ時の不安はどこへやら、

    思いがけず親しい友達と山歩きをしたような、心地よい達成感を味わった。

     

    気が付くと、予定よりかなり早くふもとに着いたので、

    2つほど早いバスで鶴岡駅に向かった。

     

    今日は夕方、山形の山中の「出羽屋」という山菜料理旅館に泊まる

    予定だ。

    それまでにまだ時間があり、この町の「致道館」という

    江戸時代にできた学問所にもいけそうだ。

    前世の若者が、武家屋敷のようなところで勉強している

    幻影を見た。

    この学問所がその時の映像に近い。

    旅の下調べをしている時、ここの写真を見て、はっとした。

    そこも体験できたら、という思いがあったが、

    最初の山登りの予定では、

    その時間がなかった。ここへ行くなら、次の機会になるだろう

    と思っていた。

    しかし、また不思議にその時間が取れた。

     

    「致道館」。荻生徂徠の学問を学んだというこの庄内藩の学校は

    素晴らしいものだった。建物も昔のアカデミズムを感じさせる

    格調高い造りで、静かに深く心が満たされる場所だ。

    武士の子弟が学んだであろう広い座敷の畳に座ると、

    前世の若い武士の向学心と、人生の目的を探る真摯な思いが

    現世の私の心に届いた。

     

    「ああ、よくぞここまで来たものだ」深い満足の思いが

    あふれてきた。

    信じられないほどの達成感。

    今日1日で、長いこと、固く胸に秘めてきた

    前世の私の人生観と全体像に、ついに到達した。

     

    帰りのバスに乗るため、屋根付きのバス停で待っていたが、

    バスはなかなか来ない。

    息子に今日の不思議な話を知らせようと思い電話をした。

    電話を切ったとたん、ザーッとひょうのような大粒の雨が

    斜めに降ってきた。

    その間3分ぐらい。

    すると、バスが来たので、私は濡れずにバスに乗った。

    とたんに雨がやんだ。

    ほとんど人が乗っていないバスの窓に青空が広がり、

    はっきりとした大きな虹がバスの端から端にかかっていた。

    こんなに近くに迫ってくるリアルな虹は初めてだ。

    まるで、今日のドラマのエンディングを告げるようだ。

     

    「ほうら、見たか。お前の思いは実現したんだよ。

    今生の苦しみは、この雨で洗い流した。これから先は

    明るいものだ。私は今生でのお前の歩みを喜んでいる」

    と、大いなるものが言っているように思えた。

     

    この旅で経験したこと。

    輪廻転生があるならば、人は前世からの人生の目的を

    現世でも持ち続けるものかもしれないと思う。

    私の場合、その目的は、魂を磨くことだ。

    前世の若武者は、修行の者となり、山を歩いて

    考え続け、魂を磨いた。

    そのとき、山伏に幾度も助けられたことだろう。

     

    現世の私は、不肖キリスト者であるが、

    やはり修験の道をいく水泳の先生や

    その人が信じるこの山の神様に助けられている。

    同じ系統の人に助けられる運命にあるようだ。

    どうにかして知りたいと願い続けてきた人生の謎が、

    ようやくここでゆるゆるほどけていくのを感じた。

     

    羽黒山頂上のかすみにけむる風景

     

    蜂子神社

    三神合祭殿

     

     

    信仰の人々が何百年も歩いた山道。前世の私も歩いたかもしれない

    (写真を縦にできないので、横になった)

     

    途中の茶店でみかけた山伏スタイルの人

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     






     

     

     

     

     

     

     

    | - | 07:24 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
    前世への旅
    0

      人はどこから来て、どこへ行くのだろう。

      生きることには、なぜこんな苦しみがあるのか。

      人はだれでも、一生のうちに一度はこんなことを

      考えることがあるのではないだろうか。

      かくいう私は、いつも何の苦労もなさそうにみられているかもしれないが、

      じつは、このことを探求するために一生を費やしたといってもいいくらいだ。

       

      今生で苦しみを受けることの理由がわからないときに

      前世があると仮定すると納得がいくことがある。

      そこで、自分の前世を知りたいと思った。

      ある本で、前世を知る方法をみつけ、実行してみた。

      もう20年くらい前のことだ。

      一言でいうと、退行催眠のような方法だ。

       

      夢のような、幻影のような中で見たのは、

      白装束の若い男が、木漏れ日の山道を下ってくるところだった。

      これが、私の前世だ。

      年のころは20代の終わりか30ぐらい。

      いつの時代かわからないが、彼はいくさに明け暮れる武士の生き方に

      疑問を抱いて、武士をやめ、修行の道を選んだ。

      人生の目的とはなにかを探求する彼は、

      今の自分より、ずっとずっと心がきれいな人だ。

      その心のありようが、一瞬にしてわかるのが、この前世体験なのだ。

      また、彼は向学心のある人で、武家屋敷のようなところで、

      学問をしている姿も見た。

       

      さて、現世の私は、クリスチャンとなって、人生の目的を深く知ることに

      心を費やす者である。

      時代と男女の違いはあるが、その生き方、目標が同じであることで、

      この人が自分の前世であることを確認るする思いがした。

       

      今の私は、様々な苦難に会い、たくさんの人に助けられて

      今日まで生きた。

      そこで、今生を振り返り、感謝の思いをかみしめつつ、

      前世の自分が歩いたような山道を歩いてみようと

      思い立ち、旅に出ることにした。

      行く先は山形にある出羽三山の一つ、羽黒山だ。

      あの白装束の男が歩いていたのは、もしかしてここかも

      知れないと思ったからだ。

       

      話は変わるが、ある時から、水泳の先生と知り合いになった。

      彼女は、70代後半の今も、お膳を持って泳ぐ、

      あの日本泳法の大家である。

      この人に私は、人生の危機のとき、何度も助けられた。

      彼女は老年期に入ってから、悩みのある人々を導く先達となり、

      何度も出羽三山を訪れている。

      前世の私もまた、山を歩いて、その時代の修験者に助けられたかもしれない。

      なにか深いご縁を感じた。

       

      出羽三山のうち、月山は前世、羽黒山は現世、

      湯殿山は来世を意味するのだそうだ。

      月山は1人では危険、羽黒山なら観光地でもあるようだからと、

      羽黒山に決めた。

      ここは、生まれ変わりの山と呼ばれ、山へ入るとき

      一旦死んで、修行して山を下りると再び生まれるのだという。

       

      台風が通り過ぎた一瞬ののち、山形の鶴岡にたどり着いた。

      ここから明朝バスで羽黒山に向かう。

      緊張が高まってきた。

        この続きは次回に。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      | - | 11:53 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
      地震の副作用
      0

         あの地震の騒ぎもこの辺では和らいで,

        いつもの日常がもどってきた。

        その後、予約をいれていたお客さんは、けっこうキャンセルしてきたので、

        いつもよりは暇になった。

        地震の前は、夏の忙しさの疲れで、倒れそうだった。

        しかし、なぜか地震と同時に、心身シャキッとし、

        暗闇の中で、ろうそくをともしながらのお客さんとの会話も

        われながら不思議に落ち着いていた。

         

        あの日、帯広から車でやってきた年配の営業マンは、

        明日東京に帰るのだが、飛行機が飛ぶかどうかもわからない、

        そんな中で、わが宿にたどり着いた。

        来る途中、コンビニは全部ものがなくなり、飲食店も閉まっていて

        食べるものがないという。

        夜になって困っているので、

        「これでもよかったら」といって、

        鍋で炊いた柔らかめのごはんに梅干し、それに、息子が

        スーパーで売れ残りをやっとかきあつめて買った、

        見たこともないカップ麺にお湯を入れてあげた。

        その人は、顔も見えない暗闇の中で、ろうそくの光をたよりに

        食べ物をかきこんでいた。

        「うまいなぁ〜」

        うめくようにこういって、息をついた。

        「こんなにうまいご飯ははじめてだ」

        「いまどき、こんなふうにごはんだけ食べるなんてことないですよね」と私。

        「そうだね。だけど、おれたち子供のころは、いまみたいに

        食べ物はなかったから、食事は質素だったよなぁ。昔を思い出した」

        その人はしみじみ言った。

        「今日のこの食事は一生忘れられないよ」と。

         

        翌朝、それでもよく眠れたといった彼は、「またいつかここへこようかな、

        あのごはんのメニューでさ」といって笑いながら、大きな袋に

        コンビニなどで売っている色々な飴をたくさんくれた。

        「きのうのお礼です」と。

        この人は、私もその名前を知っている、名古屋の老舗の製菓メーカーの人だった。

        「わっ、うれしい」

        なにしろ、私は、飴女、飴をめちゃくちゃ食べるのだ。

        糖尿病予備軍といってもいい。

        いただいた飴を、今も毎日ガリガリ食べている。

         

        あんなに落ち着いていた地震当日、翌日。

        きっと火事場の馬鹿力で、体からアドレナリンがいっぱい出ていたのだろう。

        その後、3日ぐらいたって、朝食後、突然嘔吐。

        具合が悪くなり、やっとのことで病院へ。

        食中毒かと思ったが、調べたら「軽い胃炎ですね」とのこと。

        「ここで、点滴していますか」と医者に言われ、

        半日病院で寝ていたら、

        なにやら気持ちがふっとゆるんで、体が楽になり、

        しばしぐっすり眠った。

        やはり、気がはっていたんだなぁ。

         

        数日して、ようやく休みがとれたので、

        早朝、久々に息子と車で積丹方面へ行った。

        宿のすぐ近くに海があるのに、「積丹ブルー」が

        見たかった。

        その日は晴れて、空も海も青くさえわたり、そして山も深い緑のおわれて

        美しい。

        この景色を目にすると、全身点滴で潤っていくようだ。

        自然はこわいが、また底知れず人を癒す力がある。

         

        昔落盤事故があった、豊浜トンネル付近の奇岩

        積丹海岸

         

         

         

        | - | 07:15 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
        天変地異で暗闇の二夜
        0

          日本中がうすうす恐れている地震が

          とうとう北海道にやってきた。

           

          かもめやスタッフも、この夏の忙しさをなんとか乗り越えられるかな、

          と思った矢先、未明の大揺れに見舞われた。

          宿の二階にいた私は、あわてふためき,階段を駆け下りた。

          どこへ行ったらいいかな、

          と思って玄関の戸を開けて外へ出たが、

          宿泊中の4人のお客さんはなかなか出てこない。

          これほどの揺れは、あの東北の震災以来かもしれない。

          揺れが収まったら、女性のお客さんが2人、恐る恐るでできて、

          1人の人がスマホをあけて、今の地震が北海道のどの地域を

          襲ったのか、見せてくれた。

          後の2人の男性は出てこない。

          かなりの大物だ。

           

          それから停電になり、テレビも見られなくなった。

          朝、携帯に本州の友人から安否を気遣う電話が入り、

          「電気がつかないだけで、水道もガスも使えるから大丈夫」と答えた。

          今日飛行機で帰るお客さんたちは、飛行機が飛ばないことを知り、

          急遽夕方のフェリーに乗り換えることに。

          息子は、町中の信号機が全部止まった中を、車でお客さんたちを

          フェリー乗り場まで連れて行き、乗れることがわかったら、

          また連れて帰ってきた。

          不安になりながら、お客さん同士友達になり、

          それでもしばらくすると、それでも観光に出かけた。

           

          聞けば、北海道中が停電だという。

          気が付くと、電気がつかなければ、生活の何もかもが動かない

          ということがわかった。

           

          お昼前、町なかを少し歩いてみると、私が子供のころからあるパンやさんが、

          半分シャッターを閉め、家族が全員、外の椅子に座ってくつろいでいる。

          パンやさんは普段は早朝から仕事をしていて、午前中が勝負だろう。

          ここの年配のご夫婦は、いつもくたびれた顔をしていて、

          パンが出来上がって売るころには、奥さんはもうぐったりしていた。

          この仕事が、どんなにハードなのかよくわかる。

          そのパンやさんの家族が、いつになくのんびり

          楽しそうにしている。

          昨日の残ったパンは全部売り切れ、今日はもう作れない。

          残りのパンが、こんなに売れたことはないかもしれない。

          うれしさ半分、あきらめ半分かな。

           

          町なかの店のシャッターはほとんど閉まり、

          なにもかもすっかりあきらめた人たちが、

          ゆっくりあるいている。

          震災のさなかに、ふとのどかさを感じた。

          そう、人は自分の体を使って、できることだけをすればいいんだ。

          あまりにも進み過ぎた文明。

          自分の頭では考えられないところで、すべてのことが

          動いている。

          大昔、電気がない時代にも、人は生きて,生活していた。

           

          夕方、車やバイクで北海道を移動していたお客さんが、

          ほうほうのていで駆け込んできた。今夜はぎっしりのお客さんだ。

          途中、コンビニのものは、すべて売り切れていたという。

          それでも、どこかから調達してきたものを、薄暗い部屋で

          食べる人や、かろうじてやっているお店で食事をしたらしい人もいた。

           

          9月の日没は早い。

          暗くなった宿の部屋で、お客さんはろうそくをともしながら、

          一夜を過ごした。こんな夜が2日続き、2晩目の10時に、

          すっかりあきらめていた電気がぱっとついた。

           

          このあとのことをかなり長く書いたのだが、パソコンの調子が悪く、

          全部消えてしまった。

          今は以前の日常がほぼ戻っている。

          しかし、運河やお土産屋さんの通りには、ひとが少ない。

          小樽に来るなら、今だ 。

           

           

          祝津の海は、もう秋の気配が漂う

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

          | - | 17:15 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
          遅ればせながらのお墓参り
          0

            本州には何回も台風が訪れ、その影響か、北海道も

            長雨に見舞われた。

            天候不順の夏、そして、かもめやも一年のうちで一番忙しい季節。

            お盆が終わり、宿泊もピークを過ぎたかと思うが、

            まだまだ毎日仕事に追われている。

            昨夜も夜11時のお客さんで、こちらも半睡の状態だ。

            さすがに疲れがたまり、体力も限界に近い。

            しかし、わが宿を訪れるお客さんは、老若男女

            なぜかリラックスしていて、初めての人でも、

            気心が知れた下宿人みたいな様子だ。

             

            私は、下宿の管理人のばあさん。

            「あぁ、あぁ、みなさん、静かにしてくださいよ」

            と、役どころは、志村けんのヘンなおばあさんだ。

            あんまりピリピリ神経を使わずに、お客さんに気楽に過ごしてもらおうと

            決めた。

             

            お盆には、両親がいるお寺の納骨堂にお参りに行くのだが、

            宿のほうも忙しく、しかも大雨にたたられ、

            今年はもう行けないと思ったが、最後の日、

            意を決して駆けつけた。

            私はクリスチャンなので、お盆にお墓参りに行く

            習慣はないのだが、やはり落ち着かない。

            もう人気もなくなった納骨堂でしんと静まっていると、

            亡き人の心が伝わってくる。

            この静けさが好きだ。

             

            2〜3日後、息子が朝起きてきて、亡き義姉(私の兄の奥さんで、

            息子にとってはおばにあたる人)と

            「一緒に寿司を食べてる夢を見た」というのである。

            義姉は3人の子供を残して、50代前半で病気で亡くなった。

            1年間の闘病の末、天国へ旅立った。

            入院中、すでにクリスチャンになっていた私に

            聖書を持ってきてほしい、といい、病院に宣教師の先生を

            呼んでほしいといった。

            私は、病床を訪れるときは、いつも聖書の言葉を書いて

            持って行った。

            そして、外国人の宣教師も彼女を見舞い、彼女は病床洗礼を受けた。

            闘病中の彼女と夫である私の兄、そして子どもたちの苦しみは

            言葉に尽くせない。

             

            この夏、お盆のころ、義姉の娘の誕生日で、3人の子供たちの家族が集まって

            食事をしたのだという。

            「あぁ、彼女も子供たちと一緒に食べたかったんだなぁ」

            息子の夢をそう解釈した私は、やむにやまれず

            かもめやの玄関先に植えてあるアジサイを切って、お墓に持って行った。

            塩谷の海の近くにある墓地は、急な山の斜面に作られ、

            彼女の墓は相当上のほうにある。

            谷をへだてて向かいの山が見渡せる。

            この山は塩谷の丸山といって、小樽の人はよく気軽に登山する。

            義姉は、はるかにこの山を見ながら眠っている。

             

            ふと思い出した。

            闘病中に私が紙に書いて持って行った聖書の言葉を。

             

            私は山に向かって目を上げる。

            私の助けはどこから来るのだろう。

            私の助けは、天地を造られた主から来る。

            主はあなたの足をよろけさせず、

            あなたを守る方は、まどろむこともない。

            (詩編121編1〜3章)

             

            いま、彼女は神さまの隣で、永遠の安らぎを得ていることだろう。

             

            帰ろうとすると、息子が、「あれっ、ちょうちょが来ているよ」

            という。よく見ると、墓前にささげたアジサイの花に、モンシロちょうが

            とまっている。

            亡き人がちょうになってくるというのはよく聞くことだ。

            これは、聖書には書かれていないが…

            黄色いちょうちょは、いつまでたってもアジサイの花から離れなかった。

             

            向かいに見えるのは、塩谷の丸山

             

            のアジサイの右下にチョウが止まっている

             

             

             

             

             

             

             

            | - | 07:28 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |